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中野市にある中野陣屋。ここは、江戸時代このあたり一帯を治めていた信州随一の陣屋だった場所。その後明治時代になり、中野県が出来た時はここが県庁になったので、奥田神社と合わせて本当に中野の中心地だったんです。
そこには、あの中野騒動の一部始終もすごく克明に説明されているので、いわば立派な歴史博物館!

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拷問用の石が展示されています

中野騒動の発端は、江戸末期から明治初期にかけての米の不作と、年貢金の値上げ。偽金が出回ったり、悪質な金貸し業者が出たり、何より餓死寸前の農民達であふれかえっていたそうです。そんな中、須坂や松代では一揆を起こし、農民の要求が受け入れられているという噂を聞きつけ、着々と一揆の準備をすることに。

それが、「中野騒動」と呼ばれる事件の始まりです。

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ミニチュアも展示されています

数々の要求項目をもって押し掛けた農民達は約2000人。一揆の群集は制止に駆けつけた県の役人を惨殺したり、目標の家に火をかけたりと騒然たる事態に発展しました。さらに中野県庁を焼き払い、門番を打ち殺すなどの事件が起こったのが、明治3年12月19日から20日にかけて。

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版画で当時の様子が描かれてます

結局、焼失家屋486軒、被災者1926人、周辺の40か村110軒余が被災しあたりは滅茶苦茶な状態になったのですが、結果として農民達の要望は通ることがありませんでした。なので、須坂や松代と違って無惨な一揆だったと言われています。

中野の各地には、中野騒動にまつわる様々な慰霊碑が建っています。その後、中野県は無くなり、信濃県は長野県に統一されていくのですが、当時のことを伝える博物館としてここが機能していると思います。

是非、信州中野を訪れた際には、そんな歴史の片鱗に触れてみてください。



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